変人スターと純情メルヘン
有り体に言うならば、ボクとデンジさんの関係は、ライバル兼セックスフレンドというやつだった。どっちに比重が傾いているかなんて愚問だ。ボクと彼の数少ない、そして最大の共通点は、バトルに血道をあげる正真正銘のバトルバカであることだった。
お互いにそういうことに関しては淡泊な性質だったせいだろうか、ボクと彼の間に、トレーナーとしてではない話題が出てくることはとても稀だった。そもそも年齢が離れているから、共通した興味を他にあまり持たなかったのも原因の一つだろう。ボクはデンジさんほど機械には詳しくないし、デンジさんはデンジさんで、コンテストやポフィン作りにはあまり興味がない。
それでもこの関係がどうにかこうにか成立しているのは、全ての元凶オーバさんが、それはもうしょっちゅうボクの別荘をデンジさんとの待ち合わせに使うせいだ。
別に、この別荘を勝手に使うこと自体に文句がある訳じゃない。基本的に、よほど見られたくないことをしていない限り、ボクはここを開放している。だけどあの人の場合、流石に、約束守らないにも程があると思う。
お陰で暇潰しと称してデンジさんに遊ばれたおすボクの気持ちにもなってほしい。切実に。
ともかく、そういった事情でボクとデンジさんの接触回数は、不可抗力的に増えていき、そうこうしている間に不幸な偶然のせいで見られたくないシーンのトップクラスみたいなものを見られ、ただけに留まらずそれにいっそ積極的に関わられて、ずるずると今に至る。
それは、そんなぬるま湯の関係が始まった頃の、ある日のことだ。
「きみは何を考えてる」
テレビを見ていたボクの頭を無理矢理両手で上向かせたかと思うと、彼はいきなりそう言った。頬に食い込む指先は冷たい。
ぽかんとして見上げていると、デンジさんはあおいろの目を不機嫌そうに細めた。感情が大きく揺らいでいる時、その瞳は淡い冷たい色になる。
「なにって、なにが」
正直なところボクはちっともテレビなんて見てなくて、しばらく訪れた気まずい無言の空間の中でけたたましく鳴る音の洪水にやっと今流れているのがクラシックの番組だと理解した。
「話し掛けても上の空で、だからってテレビ見てるわけでもない。しかもため息までついてる」
「えっ」
ボクは言われた内容に、思わず目をまるくした。
「ごめんなさいデンジさん、全然気付かなかったです」
「みたいだな。どうしたんだ」
デンジさんはボクの顔を解放すると、心配そうな顔でかっこいいかたちの眉を寄せた。
「何か悩み事があるのか?」
「いえ…まあ、考え事といえばそうなんですけど」
確かに外の音が聞こえないくらい集中して考え事はしてたけど、悩み事、という訳じゃなかった。実際のところ、さっきまでボクが考えていたのは、いかにうまくバトルタワーで勝ち上がるか、ということだったから。
二十一連勝したところで、なんとタワータイクーンをやっているらしいジュンのお父さんに会えたんだけど、そこからがてんでだめなのだ。
勝てない。 そういえばここ数日、ずっと新しい戦いかたについて考えてばかりいたような気がする。
というか、そもそも、
「…デンジさん、いつからいました?」
「そこからなのか」
彼は大きくため息をついた。
「あのなコウキ、飯は勝手にどこからともなく湧いて出たりはしないだろ?」
「え」
「きみは生返事ばっかだったけど、オレはきちんときみにリクエストもきいた」
「ええっ」
「途中で寝はじめたきみを、ベッドにも連れてってやったりもした」
ボクはひたすら恐縮しながら、ここ数日の、よく考えればおかしい事態にやっと気づいた。
なにひとつ家事もしていないのに部屋はきれいだし、ごはんはいつも用意されてるし、ソファにいたはずがいつの間にかベッドで寝てたりしていた。
「それは…すみません」
「まったくだ。そのくせ、自分のポケモンの食事の準備だけはきっちりやってるんだから、見上げたもんだ」
デンジさんは呆れたように言って、ボクの顔から手を離した。それから、するりと頬を撫で上げられる。少しくすぐったかったけど、その感触が気持ちよくて、ボクは思わず目を細めた。
ボクのその反応を見て、デンジさんはくすりと笑う。
「そういえば、皆は」
「ボールの中で休んでるよ。大体、いま何時だと思ってるんだ」
デンジさんはそういって、今の時間が深夜であること、ボクはこの数日ほとんど寝ていないこと、を教えてくれた。
「つっても、オレが来たのは三日前だから、その前は知らないぞ」
「え…? すみません、今、何日ですか?」
「そこもかよ」
デンジさんが教えてくれた日付に、ボクはほっとした。ボクがこの状態になってから、まだ、四日くらいしか経っていない。
と、ボクがそういうと、逆にデンジさんが驚いたらしかった。それから難しい顔をして、いつもこうなのか、と尋ねてきた。
「そんなことないですよ」
「本当か? お前結構ぼうっとしているところあるからな」
疑わしい、と、デンジさんはじとっとボクを睨む。本当ですよ、とボクは口では答えたけど、実際のところ、彼の懸念はちょっとだけ正しい。
普段は本当に大丈夫なんだけれど、一度何か気になることがあると、ボクはそれを突き詰めてしまうところがある。でも、一応ちゃんと状況を見てやっている、つもりだ。
ジュンなんかは、ボクがおそいおそい、といつも言うけど、あれはジュンがせっかち過ぎるだけだと思う。
「ほら、また」
デンジさんは不愉快そうに眉を寄せている。
「お前がそんなだから、オレは…」
彼はそのまま何かを言いかけて、やめた。どうしたのか、と尋ねる前に、ソファ越しに後ろから抱きしめられる。
すり、と頬を寄せられて、ボクは困惑した。
「どうしたんですか?」
「…キミの無防備さに呆れつつ、そんなキミに頭やられたオレ自身にもっと呆れてるところだ」
デンジさんは、はあ、と深いため息をついた。ボクが何と答えていいのかわからず、黙っている間に、彼の中では気持ちの整理がついてしまったようだった。
いきなり、腋の下に腕を通されて、乱暴に抱えあげられる。弾みでテーブルに足が当たったけれど、さすがに高級な重量感はそれをものともしなかった。
「ちょっ、デンジさん?!」
一端ソファの上に立たされる。何をするのか、と思う間もなく、彼は背中の後ろに片腕を回すと、もう片方の腕でボクの膝の裏をすくいあげた。
「とりあえず風呂行くぞ」
「えっ」
彼はボクを抱き上げて、風呂場へと足を向けた。まずい、この展開は。
デンジさんの蒼い目が、生き生きと輝いている。
「ちょ、自分でいけます! 大丈夫ですから!」
それまでの少ない経験から、ボクはあわててそう訴えた。が、彼はにやっと笑って、こう言った。
「人生はギブアンドテイクだ、コウキ」
「それ何か違いませんか?」
ボクは口では一応そう言ったけど、早々と諦めた。こういうときのデンジさんには、抵抗しない方が賢い。
それに、たぶん、これは。
「…デンジさん」
「何だ?」
「ありがとうございます」
デンジさんはいきなり立ち止まり、それから、変な顔をした。
「…お前、このタイミングでそれ言うか?」
「え?」
デンジさんはしばらくボクの顔をじっと見つめた。抱き上げられているせいで、顔の高さがほとんど変わらない。
蒼い色の瞳が、間抜けな表情をしたボクを映す。
彼はボクの頬に軽くキスをして、それから低く囁いた。
「お前はほんとに、オレを飽きさせない」
その言葉の意味がわからず、ボクは首をかしげる。
再び歩き出したデンジさんの顔を、そっと伺う。何だかいつもより上機嫌そうに見えて、それがどうしてか、嫌じゃなかった。
ボクとデンジさんの関係は複雑怪奇だ。
それでも、何だかんだと理由をつけて、このゆるい、何とも表現しにくい関係を断ち切ってしまえないのは――お互いにこの距離感を、心地いいと思ってしまっているから、なのかもしれない。
おまけ
「ボク、くさかったですか?」
「は?」
「臭い、かいでたでしょ」
「あー、あれか」
「何日もお風呂入るの忘れてたから」
「ああ、だからだろうな」
「ううっ」
「コウキの匂いがいつもよりして、興奮した」
「…えっ?」