Snip snap dragon!
ユウキさんに頼まれたのは、スーパーコンテスト対策の特訓だった。でも、最初、それは必要なのか? と、ボクは彼に問い返した。
これでもボクは一応、ウルトラランクまでのすべてのコンテストを一度は制覇している。
そのボクから見て、はたして彼にとって、ボクと特訓をすることで、得るものがあるのかが疑問だった。
だけど、彼の事情を聞いて、ようやく納得した。
ユウキさんは、シンオウとは違うコンテスト形式を持つ、ホウエン地方の出身だったのだ。
シンオウに来たのは、好きな人に告白したら、コンテストマスターに勝てたら恋人になってもいい、と言われたかららしい。
「道理で、このへんじゃちょっと珍しいポケモン連れてると思いました」
ボクの返事に、そこかよ、と彼は、脱力した。だってあと、どこにつっこめばいいのか。ボクは乾いた笑いをもらすしかない。
ユウキさんは、ホウエンでも少しはコンテスト経験があったらしいけど、その、好きな人っていうのが、ものすごくコンテストで強い人らしくて、その人に認められるには、もっといろいろなところを見なきゃいけないと、一念発起したそうだ。
その時にはすでに、ユウキさんってなんかずれた人だなあと、ボクは思っていたんだけれども、たぶん本人は認めないだろうから、黙っておいた。
特訓は楽しかったけど、ボク個人としては、打ちのめされることの方が多かった。
難しいダンスも軽々と覚えて、教えたボクよりきれいに踊る。運動神経がいいんだろう。
ボクが引っ掛かっている、恋、という部分も、彼はクリアしている。実力も、申し分ない。
もしかすると、彼はボクより早く、マスターに勝ってしまうかもしれない。
実際にステージに立つのはポケモンたちのはずなんだけど、なんでか既に負けた気分だった。
技の構成も、出すタイミングも、出し方さえも、ボクとは少しずつ、何かが違う。
このころにはボクも、自分に足りないものが何かわかるようになっていた。
恋をして一番手っ取り早く身につくもの。それは、色気だ。
たいていの場合はボクにせがまれて、好きな人のことを語るユウキくんは、同性のボクから見ても、びっくりするほど大人びて、色っぽかった。
でも、納得のいかないところもある。
かわいさや、うつくしさなら、まだわかる。でも。
「恋とたくましさに何の関係があるのか、全然わからないんだよね……」
ボクのその言葉に、ユウキさんは肩をすくめた。そうしてちょっと憐れむみたいな視線を、こちらへ向ける。
「バカだなコウキ。タフじゃないと、恋なんてできないよ」
「ええ?」
一緒にダンスの練習をしていたボクのサーナイトに、なあ、と彼は同意を求めた。
サーナイトは、ちらり、とこちらへ赤い瞳を向けて、それから小さく頷く。
「……サナにはわかるんだ」
ボクはちょっとへこんだ。そういえば、彼には子どもがいるんだった。
「あーあ、ボクも恋がしてみたいなあ」
それが必要なら、ボクはそれをしてみたい。
ユウキさんは呆れたような顔をして、そういうもんじゃないんだけどな、と小さくぼやいた。
「ま、そんなこといってられるのも、今のうちかもしれないけどな」
「ええ?」
「こんな恋しなきゃよかったって思うような恋だって、世の中にはあるんだよ」
ボクにはよくわからないことだったけど、そう言った時のユウキさんの寂しそうな様子に、それ以上追及するのははばかられた。
彼はなんだか、とても、難しい恋をしているらしい。
一週間だけ、ボクとユウキさんは、ボクの別荘で特訓をした。
そのあと、ユウキさんは、ヨスガに戻って、挑戦できるコンテストのランクを上げに行った。
ボクはというと、ユウキさんに言われたことを考えながら、フロンティアに挑戦したり、新しい作戦を考えたりして、その次の一週間を過ごした。
途中で、スズナさんが、別荘を訪れた。最近しょうぶどころにこないから、顔を見に来たの、と言っていた。
誰かがいつも買い足してくる紅茶を出して、スズナさんにそれとなく、恋ってたくましくないとだめなんでしょうか、と尋ねたら、彼女は目を丸くした。
「まさか、誰か好きな人が出来たの?!」
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
スズナさんはなあんだ、と、乗り出していた体を引っ込めた。
それから少し難しい顔をして、紅茶の揺れる水面をにらみつける。
「あたしにはよくわかんないんだけど、でも、そうだなー。友達とか見てると、大変そうかも」
「大変そう?」
「思ってた通りに行くことより、そうじゃないことの方が多いっぽいところとか。相手の人の言葉に、いちいち振り回されたりとか。でも、それが楽しいみたい」
なるほど、ボクには、よくわからない世界だ。
「デンジさんとか、そういうの、好きそうですね。いつも退屈してるみたいだから」
その言葉には、彼女は顔をしかめた。
「いやー、あの人は、また全然別だと思う……」
「そうですか?」
「デンジさんは、振り回されるより、振り回すタイプでしょう」
ボクは首をかしげた。ポケモンバトルでの彼は、その術中にはまるより、予想をうまく外したときのほうが、なんだか嬉しそうな顔をしていることが多いから。たいていの人は悔しがるのに、珍しい人だと思う。いや、悔しがってないわけじゃないんだけど。
ボクがそういうと、それはまた別、と、スズナさんは断言した。そうして苦笑する。
「コウキは振り回す方になるかもね」
「そうですか?」
「そうですよ」
おどけて答えるスズナさんの首もとで、いつもきっちり束ねた髪が揺れる。
スズナさんはかわいいと思う。かわいくなろうと、しているとも思う。
「でも、コンテストもいいけど、バトルもしにきてね。デンジさんじゃないけど、あたしたちもコウキとバトルできるの、楽しみにしてるから」
「はい!」
スズナさんと話すのは楽しい。
でも、皆が言うみたいに、どきどきしたり、一言一言に緊張したりは、やっぱりしないな、と思った。
***
そうして一週間後、ボクは無事にマスターランクへの挑戦権を得たユウキさんに呼ばれて、コンテスト会場を訪れていた。
途中でメリッサさんに会った。
「コウキ! ひさしぶりネ」
「はい。おひさしぶりです」
「今日はコンテストに?」
「はい。自分では出ないですけど、友達のを見に」
それは残念、とメリッサさんは言って、それから不思議そうな顔で、ボクに尋ねた。
「コウキ、何かありました?」
「え?」
「いえ、前とちょっと、オーラが違う、と見えました」
「そうですか?」
特に自分では、思い当たることはない。ボクは首を傾げた。
「ずっと、恋について考えてました。そのくらいです」
「なるほど」
メリッサさんは驚いたような顔をして、それから意味深に笑うと、コンテスト会場へと消えていった。
「何なんだろう」
ボクは意味が解らないまま、開場のアナウンスに追い立てられるように、観客席へと向かう。
その途中、やけに目立つ格好をした、きれいな顔をした男性とすれ違った。
どこかで見たことがあるような、その男性の正体をボクが思い出したのは、コンテストが終わった後だった。
コンテストの結果は接戦だったけれど、ユウキさんは惜しくも、一位は逃した。
控室に呼ばれていたボクが顔を見せると、彼はさっぱりとした顔で、負けたよ、と言った。
「さすがに、マスターはすごいな。うっかり見とれてしまった」
「あはは」
今回は、メリッサさんもいたし、おかあさんもいた。こっちが圧倒されるほど、すごいレベルの戦いだった。
「……なあ。コウキ、オレの好きな人の話、覚えてるか」
ボクは頷いた。
「なかなかの無茶振りしてくれるってとこまでは」
「ははは、……あのさ。……そのひと、今日、来てたんだ」
「え?」
ユウキくんは少し目を伏せて、だから、いいとこみせたかったんだけど、と呟いた。
その肩が小刻みに震えていることに気が付いてしまって、ボクは、何て言っていいのかわからなかった。
辛そうな彼の顔を見てると、なんでかこっちまで、胸が痛い。そう、思って。
「ユウキさん」
名前を呼んで、近づく。と、引き寄せられて、右肩に、重みがかかった。
「……ごめん。しばらく、ここにいてくれないか」
震える声に、ボクは黙って、その背中をたたいた。
なるほど、これが恋なら、恋をするというのは、大変そうだ。
しばらくそうして肩を貸していると、控室のドアが、ノックされた。
「はい」
ユウキさんが、しぶしぶ顔を上げて、返事をする。
「ユウキくん?」
返ってきたのは、男の人の声だった。ボクの腕にまだかけられたままの、彼の手に、力がこもる。
「……ミクリさん?」
「開けてくれ」
ボクは、少しだけ上にある、ユウキさんの表情を窺った。困ったような顔をする彼に、ボクは小さく尋ねた。
「いないほうがいいですか?」
彼はしばらく悩むように目を閉じて、小さく頷いた。
はずだったんだけど。
***
平たく言えば、ボクは逃げ遅れた。
ボクとユウキさんが体を離した、くらいで、ミクリさんがドアを開けてしまって、そのまま何を勘違いしたのか、入口付近でごたごた言い合いをはじめてしまって、部屋を出るタイミングさえ逃していたたまれなくなったボクは、部屋の隅っこの衝立の裏に避難した。
そしたらこれである。正直、怒っても許されると思う。
二人は間にあった誤解を解いて、ついでに無駄にした何週間か分をキスで取り戻して、そのままボクを置いて控室を出て行った。
このやろう。と、平時のボクなら罵ったかもしれない。でもボクの頭は残念ながらまったくいつも通りじゃなかった。
まだ耳の奥で、くちゅくちゅと絡まりあう、いやらしい音が、響いてる、気がする。
鼻にかかったようなユウキさんの声、とか、衣擦れの音とか。
そして何よりも鮮明な、とろんととけたような、甘えるようなあの、
(うっ、うわああああああああ)
思い出すな、思い出すな思い出すな!
二人がいなくなってから随分経って、半分涙目でボクは別荘に逃げ帰った。よく考えなくてもフタバの方が近かったのに、今思えばなんで別荘だったのか。
途中であちこちで意識を飛ばして、バランスを崩しそうになるたびに、ムクホークが速度を落として警戒の声を上げてくれなければ、今頃海に落ちてびしょ濡れだったか、最悪大けがしてたかもしれない。ボクは本当に、ボクのポケモンたちに頭が上がらない。
別荘のドアを開けて、ソファに金髪を見つけて、ボクは息をのんだけど、でもそれ以上に誰かにこの混乱した頭の中を聞いてもらわずにはいられなかった。
「ジュン、どうしよう! ボク、ボク、」
ソファに行儀悪く寝転がった頭の主が動いた、けど、いつもより少し髪が短いな、とかその辺の違和感に気が付かなかったのは、ボクが錯乱してたせいだ。と信じたい。
「ボク、男の人に恋をしちゃったかもしれない!」
「……なんだと?」
返ってきた低音に、ボクは凍った。
ソファから体を起こしたのは、ジュンではなかった。
もっと体格が良くて、もっと色の薄い金髪をした。
「今、きみ、何て言った?」
普段よりもっと目つきの悪い、成人男性。
「で、で、デンジさん?!」
ボクの声は裏返ってたかもしれない。でも、なんていうかとてつもないカミングアウトを、今、ボクは、してしまったような!
立ち上がるデンジさんを見て、ボクが選ぶことのできた行動は、逃げる一択だった。
その後、結局、ボクが恋を知ることができたかどうか、は。
また、別の話だ。