Secret admirerer
別荘のドアを開けたら、外側の取っ手に白い紙袋が引っ掛かっていた。
「ん?」
コウキはきょとんとして、中身を除いた。底の浅い平たい箱の上に、コウキ宛ての、四角いカードが乗っている。
とりあえず箱を別荘の中に持って入り、それからカードを開いてみた。
途端、ふわりと、少し甘酸っぱいようなにおいが、鼻先をかすめる。
白いカードは飾り気もなく、ただひとこと、かわいいひとへ、と走り書きのような文字。
「……」
コウキはこの上なく渋い顔をして、もういちどカードをひっくり返した。
ひそかにあなたを想うものより。ちいさくそんな言葉が書かれてあって、何だこれは、と呟いた。
テーブルセットの上において、箱を開けてみる。予想通りというべきか、中身はチョコレートだった。
ジャンドゥーヤ、パヴェ、アマンドショコラ。つやつやとひかるちいさなお菓子は、ふんわりと甘い香りをさせて、私を食べて、と誘っている。
コウキは、ほんのりと苦笑を浮かべて、それから目についた円形のチョコレートを一粒、口の中に放り込んだ。
オレンの酸味と絡む甘味と、わずかに感じる苦味が、舌の上でほろりと溶ける。
「まったくもう」
こんな真似をする知り合いには、一人しか心当たりが無い。
しょうぶどころに顔を出したコウキに、最初に気が付いたのは、片手に小さな紙袋をさげたマイだった。
「どうぞ」
「え?」
「いつものお礼」
紙袋を差し出され、反射的に受け取る。それを見届けると、マイは表情も言葉も控えめに、じゃあね、と去って行った。あわててその背中に礼を告げたが、彼女が振り返ることはなかった。
ぽかんとするコウキに、おい、と声をかけるものがいて、はっとして振り返った。
しょうぶどころにいるというのに、普段に輪をかけて気だるげな顔をした、デンジだ。
手招きをする彼に従い、入り口側のテーブルに近づく。と、ほら、と、あまりにも不似合いな、ピンクのかわいらしい袋を差し出され、コウキは頬をひきつらせた。
「……はい?」
「妙な誤解するな。オレじゃない。チマリだ」
ナギサジムのちいさなトレーナーの名前を出されて、コウキは、ああ、と頷いた。
「いつもオレがお世話になってるお礼だと」
「はあ……ありがとうございます」
「まったくだ」
何がまったくなのかわからないが、デンジは、ふう、と憂鬱そうなため息をついた。
なんだか疲れているようだ。
「今日はバトルしますか?」
「そのつもりで来たんだが、その気が失せた」
不思議なこともあるものだ。コウキは目を丸くした。
「……デンジさん、体調悪いんですか?」
「デンジさんのそれは、ただのチョコレート疲れだから、気にしなくていいよ」
隣のテーブルで定食を食べていたヒョウタが、くっくっと笑いながら、そんなことを言う。
「毎年すごいものねえ」
どうせ今年も逃げてきたんでしょう、彼の向かいのナタネも、にんまりと口元を歪ませて、憮然とした表情のデンジをからかった。
「はあ……もてるんですか、デンジさん」
「もてるよー。こんななのに」
「顔はそれなりだもんね」
お前ら、と呻くデンジの声は低いが、それもどこか力がない。
「あれはもう、ただイベントに乗っかりたいだけだろ……」
いい迷惑だと吐き捨てるデンジを、ちらりと見下ろして、コウキはカウンターに声をかけた。
「すいませーん、日替わり定食お願いしますー」
日替わりな、と老人が答える。コウキはデンジに許可を取り、その向かいへと腰かけた。
「デンジさんは、チョコは嫌いですか」
「嫌いでも好きでもないが、今日ばっかりはうんざりするな」
「そうですか。……一緒に食べようと思ってたのに、残念です」
後半部分だけ声を落とし、コウキはにっこりと笑いかける。
食べるともなく、揚げ出し豆腐を突っついていたデンジの箸が止まり、不機嫌そうな双眸が、すうと細められた。
「それは、オレだけ?」
「何がです?」
そらとぼけるコウキに、デンジは、ふん、と鼻で笑った。
「日替わり定食、喰ったら覚悟しとけよ」
「ボクが勝ったら、デンジさんがおごってくれるんですよね?」
「勝てたらな」
「デンジさん、自分の勝率、知ってます?」
「今日こそは上げてみせるさ」
それじゃ肩慣らしだ、と席を立ち、デンジはヒョウタを引っ張って、店奥のバトルフィールドへと向かっていった。
ていうか、まだ食べてたんだけど! うるさい、後で食べればいいだろう。横暴だ! ぽんぽんとそんなやりとりをする二人を見て、がんばれー、とナタネが手を振る。
そのすれ違いざま、ふわりと、甘酸っぱいにおいが香る。あ、とコウキが気付いた時には、もう戦闘の準備はすっかり始まっていた。
やがて始まった轟音に、コウキは再び苦笑して、つぶやいた。
「ほんと、素直じゃないんだから」
はじめてのバレンタインの、それが顛末である。
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彼は作りました。