Roses are red

 コウキを拾った。
 比喩ではない。文字通りの意味でオレは、コウキを「拾った」。
 ご丁寧にも、見事な氷の棺桶に箱詰めにされて、そのうえに降り積む白い粉雪のラッピングを受けて、人里離れた洞窟の奥で、童話の中のお姫様よろしく、彼は眠りについていた。
 七人の小人たちは残念ながら不在だったが、その代わりにまっしろな氷の幽霊が、宝を守る番人気取りで襲いかかってきた。
 オレはそのとき、正直言って大変頭に来ていたので、同じように怒り狂った相方と一緒に、まったく手加減しないで彼女を退けてしまった。
 今はそれを、少し後悔している。

 氷の棺を抱えて、オレはとりあえず街に降りた。
 レントラーの牙もエレキブルの拳も歯が立たず、日の光に当たってさえ汗もかかないその棺は、まるで氷の幽霊の執念の塊みたいで、いったいどうしてこんな状況になってしまったんだか、静かに眠る少年の姿からは想像もつかない。
 厚いくせに、透明度の高い氷は、ガラスみたいな見た目のくせして、それよりずっと冷たかった。
 病院に連れて行っても、結局それを割ることはできず。
 無理に砕けば、中身が傷つくかもしれないとあっては、オレにはもうどうしようもなかった。
 その代わりに医者は、自分でも信じられない、という顔をして、オレに告げた。
「中の少年は、生きています」
 どういう仕組みかはわからないが、体温があり、心臓は動いている。ただし、とてもゆっくりと。
 オレは悩んだ末、彼を自宅に連れ帰ることにした。
 静かな田舎にひとりで暮しているという彼の母親に、まだ幼いこどもの変わり果てた姿を見せるのはためらわれた、というのは、もちろんある。
 けれど、一瞬、オレの心に、白い悪魔が囁いた声も、否定することはできない。
 これでこの子を、ひとりじめできる。

 目覚めないコウキを眺めて、オレはしばらく日を送っていた。
 でもすぐに、それじゃ意味がないんだと気付いた。
 眠り続けるコウキが、愛しくないとは言わない。
 でも、オレは、オレの名前を呼んで笑う、コウキのことが好きだった。
 オレは何とかしようとして、白い幽霊を探したけれど、あの場所から逃げてしまったのか、とうとう見つけることはできなかった。
 コウキのポケモンたちの姿も、見当たらない。たぶん、彼と一緒に、ボールの中で、氷づけにされてしまっているのだろう。
 腐れ縁の男や、こういうのに詳しそうなチャンピオン、数少ない他の知人たちにも協力を求めたけれど、事態は全く進展しない。
 コウキの母親に隠しておけるのも、そろそろ限界だった。彼の幼馴染にも、彼の行方を尋ねられることが増えた。
 焦るオレに、一条の光をもたらしたのは、他でもない、コウキ自身だった。

 夜の灯台には、誰もいなかった。コウキを部屋に置いたまま、オレは、いつかと同じように、そこへ足を運んでいた。
「デンジさん?」
 コウキと初めて会った時も、たしか、こんな風だった。思わず微笑みかけて、愕然とした。
 弾かれるように振り返る。外の青い闇と、白すぎる照明のコントラストの狭間、閉じられたままのエレベーターの扉の前。
 彼はいつものように、すんなりとそこに立っていた。
 呆然と、名前を呼ぶ。彼はことりと、首をかしげる。
「どうしたんですか、そんな、幽霊でも見たような顔して」
「……いや」
 今までのすべてが、全部嘘だったのだろうか。そんな思いに、オレはとらわれかけた。

 氷の棺に、縋り付いて泣いた。
 酒量が増えて、気を失うように眠ることもしばしばだった。
 それでもコウキは氷の中、ただ、静謐な眠りについていた。
 オレの手の届かない場所で。

 これは現実なんだろうか。目の前で不思議そうな顔をするコウキに、オレはそう、疑って、しまった。
 おそるおそる、全身を確かめる。短い髪を押さえつけるハンチング。氷の棺の中の彼と同じ、白いマフラー。オレとお揃いみたいと笑った、青いジャケット。その下にのぞく赤いインナーは、乾いた血の色のようにも見える。
 黒いズボン、ブルーグレイのスニーカー。そして――
「……はは」
 オレは、気付いてしまった。
 突然笑い出したオレに、コウキが不思議そうな視線を向ける。
「デンジさん?」
「コウキ、いったいどこにいたんだ?」
「え?」
 大きな瞳が、ゆっくりふたつ、瞬きをする。オレは口元に歪んだ笑みを浮かべて、彼へと、近づく。
「探してたんだ、ずっと」
「そう、なん、ですか?」
 それはすみませんでした。素直に謝る彼の頭を、いつもみたいに撫でようとして、オレは少しだけためらった。
「……コウキ」
「はい」
 中途半端に宙に留まっていたオレの手は、そのまま下へと降りる。そして、コウキの目の前へ。
「行こう」
 らしくないオレの様子に、彼は、ちょっと戸惑った様子を見せた。そうだ、そういえば、いつだって手を繋ぐのはコウキからで、オレからこんな風に誘ったことなんて、ほとんどない。
 もっと早くこうしておけばよかったんだ。後悔しても、しかたがない。
「ほら」
 もう一度促せば、コウキは、はにかむように微笑んだ。
「はい!」

 つないだ掌は、まるで氷のように、冷たかった。